2010年05月21日
で、報告です。

昨日、予告通りに行って参りました。
未来の食卓@同志社大学寒梅館上映会。
映画は、良かった。
子ども達が歌う、すごい歌詞のめっちゃ力強い歌に、
しょっぱなから感動してしまって、泣けました。
日本なんかでだったら、はたして歌えるものだろうかという内容。
そう確か、「樹々をもて、民衆よ、立ち上がれ!」
という感じの箇所があって、それはそれは力強く歌い上げる子ども達。
自然と拳が上に上がり、まるでシュプレヒコールのような。
けして大人にやらされているのではなくて、歌詞をきちんと理解して歌っている感じ。
だからぐっときました。
舞台(ドキュメンタリーですが)は、フランスのそれはそれは田舎(だと思います)。
建物はれんが造りだし、山々に囲まれた小さな集落といったような。
でもその村にはたくさん(たぶん大原より多いと思うくらい)子どもがいる。
その子ども達の健康を、村の行政がきちんと考えている。
ようは、学校給食をすべて有機(ビオといってました)にしましょうという村の動きが描かれているのです。
未来の食卓、つまり、未来を作る子ども達の食卓についての映画です。
あそうか、だから給食なんだと途中で気づく私でした。
美しいフランスの田舎の風景の中で、大量に散布される農薬や化学肥料。
特に、殺虫剤や除草剤の恐ろしさが、病気になった家族の証言や数字などであらわにされていきます。
「信じられません、これほど多くの子ども達が苦しんでいるなんて。
こんな田舎で。」
と証言する、農業を営む家庭の妻。その子どもは白血病だと言います。
そうです、都会とか田舎とかでは計り知れないのです。
知らないうちに、自らの生活する環境の中でおかされているのが今日なのかもしれません。
子ども達の食べるものを、村の行政が変えていく。
最初はおそるおそる、
次第に子どもは自分の舌で、親は子どもの反応を見て理解を深めていき、
最後には地域の中の有機農家と一般農家が同じテーブルについて、
率直に、対立し合うのではなく対話しながら、
給食のビオ化について話し合うのです。
「お金じゃない、良心の問題だ」と村長さんは言います。
良心に聞いてみれば、子ども達がどんな食事をとっていけばいいのか、
おのずと道も見えよう、というのでしょう。
どこかの政治家みたいにうわべだけの「お金じゃない」じゃないですよ。
「予算は行政が自由にきめられるんだ(つまり、おかみに伺い立てずに改革できるということだと思う)」
とうれしそうに語る村長の言葉にすかさず給食費の値上げを心配した親に対して、
あ、そうかそうか、という感じで、
「いや、給食費は値上げしないよ、うん。今のままで行くよ!」とフォローする村長。
こういった、打てば響くような行政って、ほんとにうらやましい限りでした。
だって、この給食の取り組みなんて、村の議員13名で決めたんですよ。
事前にアンケートとか、意識調査とかせえへんかったとのこと。
このスピード感。
自分たちの良心が誰に向かっているか(もちろんこども達!)、はっきりしていたから出来たのでしょう。
だから周囲もついていけた。
アンケートや意識調査なんて、結局のところ自分のやりたいことの不安なときにするんではないかな。
いーんじゃなーい?とでも言ってほしいだけでしょう。
そんなものなくてもやる!その心意気がいい村長でした。
ああ、長くなってますね。
そろそろ切り上げましょう。
でも、有機農業をやっててよかった。
有機農家でよかった、と勇気をもらえる映画でしたことを申し添えて。
そうそう、オーハラーボのこうやさんとか、つくだ農園とかの野菜も見事早々に完売したそうです。
そりゃ、あの映画の内容だったら、ビオを選びたくなる!ですもんね。
見て良かった映画でした。
た
2010年03月04日
農家、政策に関わる
さて、先日終了したのですが、
京都市が定める農林基本計画というものの策定にあたっての検討委員に招聘して頂いておりました。
約半年間かけてこれからの京都市の農林業の10年間を方向付ける政策の基本を定める検討会です。
委員には、大学教員の方、高校教員、流通、小売り、生産の各関係者の方々や、
時には現役の高校生たちが加わり、多様な視点の議論が交わされました。
この会、農業だけでなく林業についても定める政策方針ですので、委員会には林業に関わっておられる方も出席されておりました。
普段、山の仕事に関わっておられる方に会う機会はほとんどないのでとても貴重な機会でした。
お話を伺うと、京都は林業にまつわる仕事が非常に多く(それだけ細分化されているということですが)、
これは、西陣の西陣織なんかにもつながる話だと思ったのですが、どこか一カ所が欠けると、
流通そのものがうまくいかないということもあるようで、かなり危機的状況だということをおっしゃっておられました。
また、重要なのは山を再生させることや、きちんと材木として循環させることに加え、
「売る場所」がきちんと機能することを忘れてはならないということだそうです。
これって農業も同じことです。
そして、農業、林業の様々な分野で、担い手が不足しているということです。
単に、生産者が増えれば良いというのではない。
この現実は、政策の重要な課題ですよね。
担い手が増える=その職業で生活が出来る、さらには、この職業で食って行きたい!という
積極的な志向を持つ人が現れる仕組みを、行政が創りだせるのかどうか。
これからの政策にかかっているように思います。
私は、今回はじめて行政の政策検討の場に入れて頂いたのですが、
一言で言うと非常に面白かった。
これまで、行政というと、『お役所仕事』という言葉があるように、
なんだか厄介な存在?というイメージもありました。
でも、この検討委員会では、委員長(大学教員の方)の手腕もありましょうが、
議論は活発で、また有効な意見も多く、行政の方はその意見に真摯に答える、
という場面が多々ありました。
いずれの立場の方も、それぞれに感じていることを率直に語り合う雰囲気がありました。
全4回の検討会で、政策がブラッシュアップされ、多様なファクターの意見が
盛り込まれて、深みを増して行くことがわかりました。
私は、今の職場(小売り分野)の職員という立場で呼んで頂いたのですが、
会のはじめの方で、主人が有機農業をしていることや、新規就農者が増えていることを
事例として紹介しました。(こういう話を出来る雰囲気でした)
そういう訳で、立場としては小売業者としてや、生産者としても話をさせて頂くことが出来、
現状の課題や政策に求めることなどをお伝えすることが出来ました。
折しも、神戸での有機農業シンポジウムで、生産者が有機農業を通じて政治参加して行くことで、
農業や有機農業へのコンセンサスを生み出して行くことが大切だという、
イタリアの行政大学の先生がおっしゃっておられましたので、
若輩生産者(の妻ですが)が政策の過程に入れて頂いた幸運を活かし、
積極的に会に参加いたしました。
今後、基本計画は素案としてまとめられ、市民の方々を対象にした、
パブリックコメントにかけられるようです。
10年という長いスパンでの政策策定です。
生産者の方も、消費者の方も、食べるものと住むところが大事なのは誰でも一緒。
生活の根幹を支える産業にまつわる政策ですので、ぜひともたくさんの方がコメントされますよう。
京都市が定める農林基本計画というものの策定にあたっての検討委員に招聘して頂いておりました。
約半年間かけてこれからの京都市の農林業の10年間を方向付ける政策の基本を定める検討会です。
委員には、大学教員の方、高校教員、流通、小売り、生産の各関係者の方々や、
時には現役の高校生たちが加わり、多様な視点の議論が交わされました。
この会、農業だけでなく林業についても定める政策方針ですので、委員会には林業に関わっておられる方も出席されておりました。
普段、山の仕事に関わっておられる方に会う機会はほとんどないのでとても貴重な機会でした。
お話を伺うと、京都は林業にまつわる仕事が非常に多く(それだけ細分化されているということですが)、
これは、西陣の西陣織なんかにもつながる話だと思ったのですが、どこか一カ所が欠けると、
流通そのものがうまくいかないということもあるようで、かなり危機的状況だということをおっしゃっておられました。
また、重要なのは山を再生させることや、きちんと材木として循環させることに加え、
「売る場所」がきちんと機能することを忘れてはならないということだそうです。
これって農業も同じことです。
そして、農業、林業の様々な分野で、担い手が不足しているということです。
単に、生産者が増えれば良いというのではない。
この現実は、政策の重要な課題ですよね。
担い手が増える=その職業で生活が出来る、さらには、この職業で食って行きたい!という
積極的な志向を持つ人が現れる仕組みを、行政が創りだせるのかどうか。
これからの政策にかかっているように思います。
私は、今回はじめて行政の政策検討の場に入れて頂いたのですが、
一言で言うと非常に面白かった。
これまで、行政というと、『お役所仕事』という言葉があるように、
なんだか厄介な存在?というイメージもありました。
でも、この検討委員会では、委員長(大学教員の方)の手腕もありましょうが、
議論は活発で、また有効な意見も多く、行政の方はその意見に真摯に答える、
という場面が多々ありました。
いずれの立場の方も、それぞれに感じていることを率直に語り合う雰囲気がありました。
全4回の検討会で、政策がブラッシュアップされ、多様なファクターの意見が
盛り込まれて、深みを増して行くことがわかりました。
私は、今の職場(小売り分野)の職員という立場で呼んで頂いたのですが、
会のはじめの方で、主人が有機農業をしていることや、新規就農者が増えていることを
事例として紹介しました。(こういう話を出来る雰囲気でした)
そういう訳で、立場としては小売業者としてや、生産者としても話をさせて頂くことが出来、
現状の課題や政策に求めることなどをお伝えすることが出来ました。
折しも、神戸での有機農業シンポジウムで、生産者が有機農業を通じて政治参加して行くことで、
農業や有機農業へのコンセンサスを生み出して行くことが大切だという、
イタリアの行政大学の先生がおっしゃっておられましたので、
若輩生産者(の妻ですが)が政策の過程に入れて頂いた幸運を活かし、
積極的に会に参加いたしました。
今後、基本計画は素案としてまとめられ、市民の方々を対象にした、
パブリックコメントにかけられるようです。
10年という長いスパンでの政策策定です。
生産者の方も、消費者の方も、食べるものと住むところが大事なのは誰でも一緒。
生活の根幹を支える産業にまつわる政策ですので、ぜひともたくさんの方がコメントされますよう。
2010年02月21日
運動だった時代が過ぎて
兵庫県への弾丸ツアーでいってきました、「URGENCI」の総会神戸大会。
シンポジウム第一日目。
9時半から6時までのみっちりコース!
有機農業をやっていると名前を聞く諸先輩、偉人の方々にも会えて、
興味深い話をたくさん聞けて得るもの、考える素材をたくさん頂きました。
この会、そもそもがフランス版CSAである組織が始まりで、
そのため消費者運動との連動が深い組織です。
今回の大会で最も良く聞いた言葉は、「提携」でした。
「提携」。
農家から消費者が直接農産物を購入する方法で、毎月(毎週)の定期便にて作物を受け取ります。
多くの場合、受け取る中身はその時期その農園でとれたものが詰め合わされています。
(つまり、消費者に選択の自由があまりありません)
というのも、提携のそもそもの背景に、食べものを商品にしない、という考え方があるからだそうです。
もしくは、消費者は食べものを選択に課さないとも言えます。
ほかにも提携10か条なるものがあり、「提携」というものはその10ヶ条を満たしていることが必要であるということ。
シンポジウム最初のスピーカーによると、「提携」にあってCSAにないもの、
それは「自己批判」だそうで、
なんだそれは・・・、
これまでの体制への批判もこめた自己批判であればなんか学生運動みたい、とか、
だから米を毎日食べろなんて、ナショナリズムやん、などなどと違和感を抱えつつの講演会幕開けでした。
カウンターパンチ。
さて、「提携」。
私達の世代にはなじみの薄い存在です。
そもそもは1970年代の公害問題や、食べものに由来する事件がきっかけとなり、
日本の母親達を中心として進められてきたのだそうです。
アメリカのCASよりも歴史が深く、海外にもたくさんの影響を与えた活動だったそうです。
とはいえ、先に書いたようなあまり有無を言わせない手法(笑)や、
一方で私達に選択肢がたくさんあるようになった頃から活動は収縮しはじめ、
今では「産直」、「店舗販売」が拡大する傾向が出ているようです。
母親達が「提携」に取り組んだ時代、
有機野菜などの食べものを含めた健康や、公害のない環境といった事柄は、
必死にならなければ手に入れることができないことだったのかもしれません。
世の中では、そういった事柄が意識される機会が少なく、
それは自らみい出さなくてはいけなかった。
子どもが安心して食べられる野菜、飲める牛乳、お米、パン・・・。
どこにあるんだ!と、お母さんやお父さんは必死になって探したのでしょう。
その結果出会えた有機の農家さんやパスチャライズの酪農家さんはもう、
天の助けみたいな存在になっていたのではないかな、と想像してしまいます。
やった、出会えた!この出会いを広めよう、つなげよう!と。
そう思うのは、この「提携」の話を聞くにつれ、どうもこれは運動だ、と思ったからです。
消費ではなくて、運動なのではないかということです。
運動だから、頑張ったし、有無を言わず野菜を買った。
有機無農薬が基本、無施肥なおよし。
お金のことはあんまり言わない、だって運動だから。
会議が進んで、分科会が開催されて、分科会にも参加しましたが、
この「運動」への自負が通奏低音になっているように感じていました。
そうか、有機農業とそれをとりまく消費者層は運動家だったんだ。
少なくとも日本の歴史では。
(もちろんそうでない場合もあったとは思いますが)
この理解は、わりとすとんと自分の腑に落ちて、
自分たちの営む有機農業というものの流れの上流に、
この人たちの運動の歴史があったのだということを知れて良かったと思います。
やがて、運動が成果を結び、
環境問題や農業への関心が高まって、
有機農産物を取り巻く状況も変わり、
生産者が増え、消費の形も多様化した。
現代では、運動が市場を形成し、有機野菜の流通が始まったのではないかと思います。
私達が立っている場所はこの時点で、ここにはもはや運動の影がほとんど薄くなっているのは事実ではないでしょうか。
運動だった時代が過ぎたのかもしれません。
さてここで、私達は一体どんな有機農業をして行くのか。
誰にどうやって売るのか、買ってもらうのか。
この流れの先をどんな風に描いて行くのか。
諸先輩方からの学びは続き、もちろんまだまだバトンは渡してもらえないでしょうが、
そういうことを考えながら進んで行きたいと思います。
「百姓は、社会活動家たれ。」
そこまで行けるかわからないけれど、
「農業という仕事に誇りを持って」
ということに関しては、大いに賛同。
誇りを持てる仕事、生き方をしていこうと身を引き締めました。
「誇り」は、なぜ有機農業をするか、
という問いへの答の一つになるような気がします。
シンポジウム第一日目。
9時半から6時までのみっちりコース!
有機農業をやっていると名前を聞く諸先輩、偉人の方々にも会えて、
興味深い話をたくさん聞けて得るもの、考える素材をたくさん頂きました。
この会、そもそもがフランス版CSAである組織が始まりで、
そのため消費者運動との連動が深い組織です。
今回の大会で最も良く聞いた言葉は、「提携」でした。
「提携」。
農家から消費者が直接農産物を購入する方法で、毎月(毎週)の定期便にて作物を受け取ります。
多くの場合、受け取る中身はその時期その農園でとれたものが詰め合わされています。
(つまり、消費者に選択の自由があまりありません)
というのも、提携のそもそもの背景に、食べものを商品にしない、という考え方があるからだそうです。
もしくは、消費者は食べものを選択に課さないとも言えます。
ほかにも提携10か条なるものがあり、「提携」というものはその10ヶ条を満たしていることが必要であるということ。
シンポジウム最初のスピーカーによると、「提携」にあってCSAにないもの、
それは「自己批判」だそうで、
なんだそれは・・・、
これまでの体制への批判もこめた自己批判であればなんか学生運動みたい、とか、
だから米を毎日食べろなんて、ナショナリズムやん、などなどと違和感を抱えつつの講演会幕開けでした。
カウンターパンチ。
さて、「提携」。
私達の世代にはなじみの薄い存在です。
そもそもは1970年代の公害問題や、食べものに由来する事件がきっかけとなり、
日本の母親達を中心として進められてきたのだそうです。
アメリカのCASよりも歴史が深く、海外にもたくさんの影響を与えた活動だったそうです。
とはいえ、先に書いたようなあまり有無を言わせない手法(笑)や、
一方で私達に選択肢がたくさんあるようになった頃から活動は収縮しはじめ、
今では「産直」、「店舗販売」が拡大する傾向が出ているようです。
母親達が「提携」に取り組んだ時代、
有機野菜などの食べものを含めた健康や、公害のない環境といった事柄は、
必死にならなければ手に入れることができないことだったのかもしれません。
世の中では、そういった事柄が意識される機会が少なく、
それは自らみい出さなくてはいけなかった。
子どもが安心して食べられる野菜、飲める牛乳、お米、パン・・・。
どこにあるんだ!と、お母さんやお父さんは必死になって探したのでしょう。
その結果出会えた有機の農家さんやパスチャライズの酪農家さんはもう、
天の助けみたいな存在になっていたのではないかな、と想像してしまいます。
やった、出会えた!この出会いを広めよう、つなげよう!と。
そう思うのは、この「提携」の話を聞くにつれ、どうもこれは運動だ、と思ったからです。
消費ではなくて、運動なのではないかということです。
運動だから、頑張ったし、有無を言わず野菜を買った。
有機無農薬が基本、無施肥なおよし。
お金のことはあんまり言わない、だって運動だから。
会議が進んで、分科会が開催されて、分科会にも参加しましたが、
この「運動」への自負が通奏低音になっているように感じていました。
そうか、有機農業とそれをとりまく消費者層は運動家だったんだ。
少なくとも日本の歴史では。
(もちろんそうでない場合もあったとは思いますが)
この理解は、わりとすとんと自分の腑に落ちて、
自分たちの営む有機農業というものの流れの上流に、
この人たちの運動の歴史があったのだということを知れて良かったと思います。
やがて、運動が成果を結び、
環境問題や農業への関心が高まって、
有機農産物を取り巻く状況も変わり、
生産者が増え、消費の形も多様化した。
現代では、運動が市場を形成し、有機野菜の流通が始まったのではないかと思います。
私達が立っている場所はこの時点で、ここにはもはや運動の影がほとんど薄くなっているのは事実ではないでしょうか。
運動だった時代が過ぎたのかもしれません。
さてここで、私達は一体どんな有機農業をして行くのか。
誰にどうやって売るのか、買ってもらうのか。
この流れの先をどんな風に描いて行くのか。
諸先輩方からの学びは続き、もちろんまだまだバトンは渡してもらえないでしょうが、
そういうことを考えながら進んで行きたいと思います。
「百姓は、社会活動家たれ。」
そこまで行けるかわからないけれど、
「農業という仕事に誇りを持って」
ということに関しては、大いに賛同。
誇りを持てる仕事、生き方をしていこうと身を引き締めました。
「誇り」は、なぜ有機農業をするか、
という問いへの答の一つになるような気がします。